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およげたいやきくんの謎

  • 2019.6.29

たいやき

こんにちは。OKMです。近畿地方がようやく梅雨入りして久しい今日この頃。
じめじめした日がつづきますね。

「まいにち、まいにち、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ。」

およげたいやきくん。ぼくも好きでたまに口ずさんでしまう名曲ですが、
最近ふと、この歌詞がおかしいということに気づいてしまいました。

ただただ食べられるためだけに、鉄板の上で焼かれていく。
たいの姿をしているのにも関わらず、海で泳ぐこともできない。
そんな抑圧された環境から、自由を求めて外に飛び出し、束の間の自由を満喫するも、
釣り人に釣り上げられて、やっぱり自分はたいやきなんだなと思いながら、
最後には食べられてしまう。
なかなか残酷なストーリーですが、諸行無常といいますか。
世の中そんなにうまくいかないよね。
ということをもの悲しくもコミカルなタッチで伝えてくれます。

たいやきくんをとおして、人生や世の中を客観的に見つめさせてくれる。
そんな曲なのかもしれません。

で、このたいやきくんの歌詞のどこがおかしいのか?
まぁ。そもそも、たいやきが海で泳ぐことはできないし、生き物ではないので、店のおじさんと喧嘩するなんて、ありえないっていう話なので、それはそれで、おかしいことではあるんですけど。そこは、一応ファンタジーの世界の話として、受け入れることはできます。

ではなくて。ぼくがおかしいな。と感じるところは、冒頭の部分。

「まいにち、まいにち、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ。」

この部分なんです。

おわかりでしょうか?

たいやきくんをたいやきくん足らしめるのは、たいやきである。
ということが前提ですよね。

たいやきって、どうやって作られるんでしょう。
生地を鉄板に流し込んで、その上にあんこをのせて、反対側の鉄板の生地と挟んで焼き上げる。これが一般的なたいやきの作り方です。

つまり。たいやきがたいやきでいるためには、鉄板の上で焼かれないといけないわけです。
にもかかわらず。たいやきくんは、鉄板の上で焼かれるのが嫌。だと言っています。
これって、自らの存在を否定していることになりはしないでしょうか?
たいやきとして存在していられるのは、鉄板で焼かれたおかげです。
それなのに、鉄板で焼かれるのが嫌。というのは、自己矛盾ではないでしょうか?
焼かれるということは、自分の存在を否定するほどまでに、嫌なことなのでしょうか?

ぼくは、たいやきくんにとって、自分を自分たらしめている焼かれるという行為が、
ほんとは、嫌なわけではないんじゃないかなと思います。もっというと、嫌であるはずがないと思うのです。
なぜなら、焼かれることこそ、自分をこの世に生んでくれたことで、
それは例えば、人間でいうと、お母さんのお腹の中にいるようなものではないかと思うのです。

ではなぜ、およげたいやきくん。のたいやきくんは、焼かれるのが嫌なんでしょう?
まいにち。まいにち。鉄板の上で焼かれる。とはどういうことでしょうか。
ここでいう焼かれるとは、たいやきくんがたいやきとしてこの世に生まれた後のことを言っている。と解釈すると、
たいやきを作るための「焼き」ではなく、たいやきを一定の温度に保っておくための「焼き」と考えることができます。
火加減としては、そんなに熱くない。ぬるま湯のように心地いいんだけど、それが、まいにち。まいにち。つづく。。
それが退屈で嫌だと言っているのではないでしょうか。
たいやきとしては、いわゆる売れ残りの状態ですが、そんなたいやきくんが、日常に飽き飽きして、海に逃げ込みたくなる気持ちは、
好奇心を抱くという点でなんとなくわかるような気もします。

こどもの頃はわからなかったけれども、大人になって、
はじめてわかることなのだと思いますが、
およげたいやきくんについて、まさかここまで
考えることになるとは思いもよりませんでした。

みなさんはどう思いますか。

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